1992年生まれの出来事と感想

私は1992年生まれの24歳だ。

 

現役で大学に合格し大学院を2年で修士卒業しそうな方や、大卒して社会人2年目

それから6年生大学に行って卒業までもうすぐな人が同じくらいの世代になる。

つまり同世代でとんとん拍子で大学院まで行った人々が、博士号取得に進まない以外

殆ど社会人になる時期=節目の時期が来てるのだ。

 

 

今、「1992年生まれ」をgoogle検索すると2番目のリンクに

と出てきた。最近、1995年生まれも悲惨だとかいろいろ言われていたのをツイッター

で見かけたが、あらためて考えて見ても自分の世代も色々あったものだなと思う。

 

色々言われる意見には誇張も多くて、私は小学校で台形の計算を習ったし、小数点は3.14派だ。

塾にはいっていなかったが、公立小中でも教科書の応用の章を先生はきちんと

取り扱ってくれていた記憶があるし、異なるのは勉強時間ぐらいだと思っている。

 

しかし、世の中では大多数的にこの世代をゆとり世代と言われてしまっているのは

事実だし、ほとんどの24歳も否定しないんじゃないかとおもう。否定したくても

世論がゆとり一辺倒なのもあり、具体的な否定が個々な意見に集約して数値的な明示が

できないのでしょうがない気がするのだ。

 

とくに学力の点では私の学生時代を振り返っても一生懸命勉強した記憶はないし、昨今の小中学生のように

殆ど塾に通い放課後も勉強って時代ではなかったと思う。また人間関係の面ではそこまで

携帯電話が普及してなかったのが幸いし?、現在の複雑な学校内の人間関係を

構成している問題を低減していると思う。

 

私も無線通信や電磁気学を専門としているので、正直なところでは携帯電話やIoTは

普及してほしいが、昨今の携帯電話に関連するユーザー側の使用方法に関する問題は

頭が痛くなる。

 

 

雑な振り返りだが、総じて個々に自由な学生生活を送りやすかった世代なのではないだろうかと

も思うところが私の意見であり、悲惨な世代と言われるのは心外である。少なくとも今思い返して

いる段階では、私自身は彼女ができなかったこと以外満足いく学生生活だった。

追記の可能性もあるが...。

 

さて、1992年生まれでの一番記憶に新しいのは3月11日の東日本大震災だろう。

 

自身はこれで国立大学の後期試験が開催しないことになったので、一時期大学進学を

あきらめてた。試験費用も戻ってこなかった記憶や、計画停電で非常に苦労した点が

思い出され、あのときほど世代を恨んだ記憶はないし同じように人生に何かしらの

転換を迫られた人も多いと思う。私は結果的に現役合格にこだわり私大に進学した

ものの、高校入学式の大型台風でIPhoneを落とした記憶なども含めて、

節目のときに何かしら起きる年代であることには間違いないと思う人も多いだろう。

 

もうすぐ同世代の卒業式、災害等がないことを祈るばかりである。